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南知多の軍人像のお墓

8月23日、知多半島の南の端っこに通称「たぬき寺」というのがあり、なぜかそこに軍人像が弔い祀られている、と言うので南知多に行って来ました。

愛知県 知多郡 南知多町 山海字土間53 岩窟寺の脇、天台宗大慈山 中之院がそれです。
山門をくぐると確かにタヌキの置物がそこいら中にあります。
屋根の上にはシーサーみたいにのっていたり、信楽風のタヌキ像、その上なぜかカエルまでにぎやかに置いてありちょっとしたパラダイス状態です。
なるほど、なんだかちょっと怪しい、はやらないお寺のかんじです。

山門
大慈山 中之院

屋根のたぬき
山門の屋根にはシーサーのようなタヌキが

IMG_1688タヌキと蛙IMG_1693たぬき鉢

ところが、裏手へまわると雰囲気はがらりと一変します。
そこには数十体の軍人像が建ち並んでいました。大きさもポーズも、像の素材もまちまちです。
多くはコンクリート製らしいのですが、その表情の豊かさには驚きです。
どの像の眼差しも生きているのです。

IMG_1678軍人像

階級も所属も、これまた違う軍人兵士たちは一人一人個性豊かで、在りし日の個人の姿が浮き彫りにされています。戦争でただ軍人が死んだのではなく、一人一人の兵の個人が亡くなったのだと言うことを、このもの言わぬ兵たちは語っているようです。
犬好きだったのか犬を連れた兵、口を真一文字に結び虚空を見つめる兵、ちょっと猫背のまだ少年らしい兵。
その誰でもが大切な家族の一員であったことを忍ばせる軍人像であります。

_DSC1576p.jpg

_DSC1574p.jpg

_DSC1566p.jpg

IMG_1632軍人像群

IMG_1650犬と

これらは元々、名古屋市の千種区に在ったものだそうで、
その説明書きには

ここの軍人像のほとんどは昭和12年上海上陸作戦における呉淞の敵前上陸で
戦死された名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達です。
緊急の出動で名古屋城内の兵営より名古屋港まで夜間13キロの徒歩行軍の後、
艀で野間沖に待機していた巡洋艦・駆逐艦に乗り込み、わずか廿六時間で揚
子江河口付近に到着後の昭和12年8月廿三日の敵前上陸でした。
が、上陸後半月足らずでほとんど全滅してしまいました。
軍人像そのものはめいめいのご遺族が戦没者の一時金をもって写真を基に造
らせ建立したものです。昭和12年から18年のことと言います。
また戦後進駐軍が取り壊しを命じた際、僧侶が「国のために死ぬということ
はアメリカも日本も変わりはない、あれを日本人の手で壊すことはできない、
どうしても壊すというなら、我々をこの場で銃殺した上であなた方が行って
壊せばいいだろう」と頑張った。
おかげで像は壊されずに済んだということです。
建立当時より名古屋市千種区月ヶ丘にあったもので、当山には御縁により平成
7年11月にお移しし、この地で安住いただいております。
現在もよくご遺族ご縁者の方が御参りにいらっしゃっています。
天台宗 大慈山 中之院

と、書いてありました。
IMG_1593軍人像後ろ姿

いつの世も戦争で死ぬのは軍人という無人格な道具ではなくて、あくまでも誰よりも大切な兵という名の個人
なのです。
遺族の故人を思う気持ちが痛いほど伝わる像群でした。
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